からかみは、平安時代に中国から伝わった紋唐紙(もんからかみ)を手本に和紙を模倣したもので、当時は和歌をしたためる詠草料紙(えいそうりょうし)として使われていました。江戸時代には大名屋敷や神社仏閣などの襖(ふすま)用としての需要が増し、大きく発展しました。
江戸からかみは、版木を使った木版刷り(もくはんずり)や伊勢型紙による捺染摺り(なっせんずり)、刷毛(はけ)を使った引き染めなど技法は多彩で、武家や町人好みの粋な文様も独特の魅力です。
健康や環境への関心が高まりつつある現在、住空間にやすらぎをもたらす江戸からかみの質感は、インテリアとして注目を集めています。
平安後期、源 頼義(みなもとのよりよし)に従軍した鋳物職人が山形市内の土質が鋳物に最適であることを発見し、数名がこの地に残ったことが山形鋳物のはじまりと言われています。
山形鋳物のメッカ・銅町は、出羽三山(でわさんざん)参りの門前町として当時も多くの参拝客が訪れ、土産物として仏具仏像や鍋釜などが人気を博しました。もともと従軍職人が軽量な武具を手がけていたため、山形鋳物は薄肉で繊細なデザイン、美しい鋳肌、寸法形状の正確さが際立ちます。
現在も鉄瓶や梵鐘(ぼんしょう)など、日用品や美術工芸品として幅広く愛され、特に茶道で使う湯釜は日本一の産地の座を守り続けています。
津軽塗には300余年もの歴史があり、江戸時代中期の津軽地方において、産業開発のために興されたものといわれています。
最も特徴的な「研ぎ出し変わり塗り」という技法は、幾重にも漆を塗っては研ぐという工程を数十回、2ヶ月以上に亘り繰り返すものです。そのため、津軽塗は複雑で美しい漆模様に加え、「堅牢(けんろう)」と評されるほどの耐久性を備えています。
ここ数年は若手職人を中心に、伝統技法を大切に守りつつ、ガラスや陶磁器、宝飾メーカーとのコラボレーションで新鮮な魅力を発信し世界に向けた新たな津軽塗の創造にも挑んでいます。
およそ1300年前、錫器は遣隋使によって日本に伝わったといわれています。宮中で器や神具のみに使われていた錫器が江戸時代に一般的に使われるようになると、流通のよい上方(大阪)は、一大産地に成長しました。
錫はやわらかいことが特徴でもあるため、機械加工しにくく、ほとんどの工程が人の手によって行われています。液状の錫を鋳型(いがた)に注ぎ鋳造(ちゅうぞう)した後、ロクロで削り、絵付けをすることで、美しい輝きと独特の風合いを生み出します。
伝統の和食器に加え、現在ではタンブラーやビールジョッキなどの洋食器も開発され、極上の使い心地により新たな人気を獲得しています。
平安時代になると、経や絵画の巻物が作られるようになり、刷毛(はけ)は紙の継ぎや裏打ちのために使用されるようになりました。
紙に糊を塗ったり、水を薄くひくことから、繊細さが要求されるため、馬の尾、ヤギや豚の毛などの品質が決め手となります。毛の油分を落とし、職人技で丹念に揃えることで、使いやすさを極めた刷毛が完成します。
習志野市の小林刷毛製造所の刷毛は絵画の修復にも使用されており、ルーブル美術館や大英博物館などのミュージアムでも愛用されています。