千葉県伝統的工芸品に指定されている手描友禅は、東京手描友禅の伝統的な技法を受け継いでいます。東京手描友禅の歴史は、江戸時代中期に始まり、京都の京友禅や石川県金沢の加賀友禅とならび三大友禅と称され現在にいたります。江戸時代から受け継がれてきた技法を用いて“粋”で品の良い情景を生絹の着物に丹念に描いていきます。専門の職人が仕事を分業する京友禅に対し手描友禅は、一人の作者が図案から仕上げにいたるまで一貫して作り上げていきます。洗練された明るい色を基調とした粋なデザインが特徴です。千葉県では伝統を紡ぎ活躍している3人※の工芸士がいます。
越前漆器は、約1500年前の古墳時代の末期、後の第26代継体天皇に黒塗りの椀を献上し、その光沢の見事さに深く感銘して大いに奨励されたことが始まりと伝えられています。江戸時代の末期には、これまでの堅牢さに加え、蒔絵の技術や沈金の技法も取り入れられ、華麗な装飾性を帯びることになりました。明治時代のなかば、越前漆器は転換期を迎えます。それまで丸物と呼ばれる椀類がほとんどだったのが、角物と呼ばれる膳類なども作られるようになり、重箱、手箱、盆、菓子箱、花器など一挙に多様な製品が生み出されました。現在では、国内の外食産業用・業務用の漆器の80%以上が鯖江市で生産され、先進的な越前漆器のスタイルを全国へ発信しています。
博多織の起源は、仁治2年(1241年)までさかのぼります。博多商人の満田彌三右衛門が僧侶聖一国師の随行者として南宋に渡り織物の新しい技術を習得し帰国。これをもとに開発した織物が博多織のルーツだと言われています。15世紀後半に子孫の満田彦三郎が浮線紋のある柳条が特徴の織物を開発しました。江戸時代には、初代福岡藩主黒田長政が幕府に献上したことにより、博多織献上柄が全国に名を馳せました。現在、博多織献上柄の帯は、粋な模様ときりりとした締め心地で全国の和装ファンを魅了し続けています。伝統を重んじながらも進化し続ける博多織は、今年で777周年を迎え、これからも新たな物語を紡いでいきます。
江戸切子は、天保5年(1834年)、江戸大伝馬町のビードロ問屋加賀屋久兵衛が金剛砂を用いてガラスの表面に彫刻したのが始まりと言われています。明治時代に英国人エマニエル・ホープトマンの指導により、現代に伝わる伝統的ガラス工芸技法が確立されました。現在では、菊や麻などの植物や、籠目・格子などの江戸の生活用具を図案化したものが伝統文様として受け継がれており、透明なガラス地の表面に色ガラスの膜を被せ彫った「色被せ」が主流となっています。江戸切子は、町民文化の中で育まれ優れた意匠の美しさと品質を現代社会に伝えています。
金沢箔は、約400年前、初代加賀藩主前田利家の命により製造が始まったと言われています。明治、大正時代には、箔打ちの技術が進歩し高度な技術開発により高品質の箔が生産されるようになりました。金箔の製法には、二通りあります。400年以上続く手漉き和紙を使う金沢伝統箔「縁付」と昭和45年頃から導入されたグラシン紙を用いる現代箔「断切」があります。「縁付」は、食用金箔や美容用金箔などに使用され、「断切」は、器やアクセサリーなどで活用されています。高度な職人技で10円玉の約半分ほどの大きさが畳1帖分、1万分の1ミリの薄さまで打ち延ばし作られる金箔。その金箔を用いて卓越した技術で煌びやかな工芸品が仕上がります。