金剛石目塗は、初代鳥羽清一(硬忍)の漆器制作に砂を使うという画期的な発案に始まります。大正13年(1924年)試行錯誤の末、独自の下地法「砂の蒔地」を完成させました。この技法の特長は木製品などの素地に漆と良質の砂を使って堅牢な下地層を作ることです。「砂の蒔地」は歴史的にも全国的にも金剛石目塗だけのものです。現在は、三代目鳥羽俊行によりガラスと漆を調和させた「うるしのグラス」が作られるようになりました。これは、グラスに金箔やホワイトゴールド箔(金と銀の合金)等をはり、その上を金剛石目塗独自の砂の石目にしたのち、仕上げの漆を塗ってできあがります。漆のドレスをまとったグラスは、酒席に彩りを加えてくれます。
山梨和紙は、市川和紙と西嶋和紙の総称です。市川和紙は、平安時代から紙漉きの記録があり、武田氏や徳川氏の御用紙として重用されてきました。近代では、機械による紙漉きの技術が確立し、和紙のもつ美しさや強靱さが増すとともに斬新なアイデアにより、豊富なデザインの障子紙が生産されています。西嶋和紙は、戦国時代、武田信玄に献上し「運上紙」として認められ、徳川幕府時代には手厚い保護を受け発展してきました。現在では、墨色の発色、にじみ具合、筆ざわり等に傑出した書道半紙や画仙紙を中心に、高品質な和紙として製造されています。また、三椏を使用した和紙を復活させ、開発した透かしの技術を使って壁紙などのインテリア、文具用紙への展開を行うなど新しい分野への進出を積極的に行っています。
砥部焼は、安永4年(1775年)に大洲藩より砥石屑を使った磁器づくりを命じられ、白磁器の焼成に成功したことに起源を発するといわれています。明治26年(1893年)には、向井和平の製作した「淡黄磁」がシカゴ博覧会で1等を受賞し、砥部焼の名が世界に広まりました。大正時代に輸出はピークを迎えますが、昭和初期に一旦落ち込み、戦後、その価値が見直され現在にいたります。砥部焼は、厚手の白磁に呉須と呼ばれる薄い藍色の手描きの絵模様が特徴です。伝統的な技法は、今も窯元に受け継がれていますが、最近では、女性や若手陶工による伝統にこだわらないモダンな作品も多くなっています。
材料の籐(ラタン)は、東南アジアを中心に熱帯雨林地域のジャングルに自生しており、軽く丈夫で加工しやすいため、紀元前から、世界中で家具などに加工されてきました。日本には、千年以上前に遣唐使よりもたらされ、弓や和楽器、神社仏閣の建築部材などに使われてきました。籐家具の製造技術については、明治初期に伝わり、日本人が持つ優れた技術力により高品質の家具が生み出されました。現代は輸入製品に押され全国的に籐を使った製品や家具職人が減っているなか、千葉県では3人の匠※が伝統を紡ぎ活躍しています。
日本三大花崗岩※の一つとして知られる庵治石は、そのキメの細かさ、優美な光沢、独特の風合いと重量感がおりなす自然美が、古来より高く評価され「花崗岩のダイヤモンド」と呼ばれています。歴史と文化の香りが漂う牟礼町・庵治町では、平安時代後期から、約千年にわたって産出・加工されてきました。新しいかたちで石のプロダクトを届けるAJI PROJECTでは、「暮らしに寄り添う庵治石」をテーマに、石工職人が継承してきた伝統技術と新しい発想を活かし、庵治石を現代の生活に身近に感じてもらえるような製品を提案しています。生み出す製品は、花器・ブックエンド・キッチンウエア・アクセサリーなど、暮らしに寄り添ったものばかりです。