篠笛 千葉県 起源:昭和時代
蘭照氏の篠笛は千葉県の伝統工芸品に指定されています。神祇工芸品に指定されている上総獅子頭も制作する蘭照氏は、地元の祭りの音に惹かれ、独学で篠笛制作を始め、西洋の音楽にも対応できる笛を考案しました。細い篠竹、尺八に使われる節のある真竹、煤(すす)竹とそれぞれに違った音色を生み出し、しっかりした音色を奏でます。
篠笛は、篠竹に穴をあけたシンプルな日本の横笛の総称です。昔から日本各地の祭り、獅子舞、神楽(かぐら)等の民俗芸能をはじめ、民謡、長唄などで広く親しまれた日本人に馴染み深い楽器です。祭りで吹く囃子(はやし)用、尺八や三味線と合わせる唄用があり、高い音が出る短い笛や、低い音が出る長い笛など多くの種類があります。
展示品は、蘭照(本名・長谷川照昭)氏制作の篠笛です。さまざまな音階に対応させる技術は、国内外の演奏家から絶大な支持を受けています。
高山茶筌 奈良県 起源:室町時代
高山茶筌は、室町時代が始まりとされています。時の天皇から茶筌に「高穂」と云う銘を賜り、「鷹山」の地名を「高山」と改めたのが奈良県生駒市高山です。現在全国唯一の茶筌の里として発展し、国産茶筌の大半を生産しています。切り出された竹を乾燥させるための竹干し風景は有名です。
茶筌は、抹茶を点(た)てるときに使う竹製の茶道具のひとつです。抹茶を混ぜ、泡立てる部分の穂の数、形、長さの違いや、黒竹、青竹、囲炉裏などで燻(いぶ)された煤(すす)竹といった竹の違いにより、現在100種類以上の茶筌があります。小刀と指先だけで作られる高い技術は「指頭(しとう)芸術」ともいわれます。
展示品の高山茶筌は、裏千家薄茶用「八十本立茶筌」、煤竹の表千家「真茶筌」、マグカップに使える黒竹の「茶筌形マドラー」、島根県松江市で使われる茶がゆ用「ぼてぼて茶筌」です。
出雲石灯ろう 島根県 起源:奈良時代
出雲石灯ろうは、宍道湖に面した宍道町来待で産出される来待石(きまちいし)で作られます。江戸時代の城にも来待石が使われ、地場産業として発展したことで、一般の人々が採ることが許されない御止石(おとめいし)として藩外に持ち出しが禁じられました。火山灰が混ざった凝灰質砂岩の来待石は苔が付きやすいことから、全国の庭園で愛用されています。
石灯ろうは、仏教とともに伝わり、闇を照らす智慧(ちえ)の光といわれる光明(こうみょう)を、寺院に献灯されたのが始まりです。その後、神社にも奉納され庭園にも置かれるようになりました。桃山時代に千利休が茶室のある庭に石灯ろうを置いたことで、茶の湯文化の発展とともに、風情ある庭園風景に欠かせないものとなりました。
展示品は、出雲石灯ろうの原石である来待石(きまちいし)を用いた照明です。来待石が持つ柔らかい肌合いは、秋の夜長に、月の明かりや虫の音をより趣深いものにしてくれます。
薩摩焼 鹿児島県 起源:安土桃山時代
薩摩焼は、豊臣秀吉が命じた朝鮮出兵に薩摩藩主が出陣した際、陶工を連れてきたことが始まりとされています。薩摩焼には、乳白色の繊細で優美な白薩摩焼と、漆黒の光沢を持ち素朴で剛健さを感じる黒薩摩焼があります。桜島がある鹿児島の土は、鉄分が多く、焼くと黒く硬くなり、丈夫できめ細かい黒肌は、どんな料理にも映えます。
蕎麦猪口は、猪の口のような逆さ台形の形をした器です。江戸時代に蕎麦屋で、そばつゆ入れとして小鉢が使われるようになり、それが蕎麦猪口と言われるようになりました。形は昔から変わらない手頃な大きさのため、近年では、あらゆる産地の骨董品から現代のデザインのものまで、収集する人が増え、人気があります。
展示品は、新納虫太郎氏制作の蕎麦猪口と大皿です。鹿児島の桜島と伝統工芸である大島紬を融合させ表現した、黒薩摩焼です。
肥後象がん 熊本県 起源:江戸時代
肥後象がんは、熊本で作られる伝統工芸品です。江戸時代に刀のつばや銃身に装飾された金工細エは、細川家の庇護のもと、武家文化の中で発展しました。明治維新の廃刀令で刀剣金具の装飾は衰退しましたが、その後、帯留め、ネクタイピンなどの装飾品として盛り返しました。現在では熊本のキャラクターくまもんの象がん細工も人気があります。
象がんは、美術工芸の装飾技法のひとつで、金属、陶磁、木材などの表面の一部を削り取って、そこに別の素材を埋め込みます。
展示品は、「肥後(ひご)象がん」の装飾がある万年筆で、伊勢志摩サミットで各国首脳へ贈られました。肥後象がんは、「布目象(ぬのめぞう)がん」という技法で地金にタガネを使って細かく溝を刻み、その溝に型抜きした純金や銀を打ち込み細工します。錆の液を何度も塗って作る地金の重厚で美しい黒が、金銀の華麗な装飾を引き立てます。