木桶×千葉県
起源:不明
場所:千葉県野田市
<ものと場所の繋がり>
千葉県野田市の北西部にある関宿は利根川と江戸川に挟まれ、江戸時代に水運の要として発達しました。この地で、千葉県伝統工芸の桶は三代にわたり受け継がれ、伝統技術を生かした桶が作りだされます。
千葉県の野田は東に利根川、西に江戸川と水運に恵まれたこともあり、江戸時代は舟運物流の拠点として発展しました。この野田で三代にわたり桶を作り続けるのが、千葉県指定伝統的工芸士の小峯穣二さんです。父の吉一さんから技術技法を受け継ぎ磨きをかけてきました。桶作りには内丸鉋(かんな)や外丸鉋など特別な工具を使用します。通常 「たが※」には銅を使用しますが、銅に比べ耐久性とばね特性に優れた洋銀を用いる事に小峯さんの工夫があります。
今回は、昔ながらの工法で竹を用いた「竹たが」を使って、特別にめだか桶を制作していただきました。桶に水を張り、めだかを眺める。涼をとる夏の風情です。
江戸簾×東京都
起源:江戸時代
場所:東京都台東区
<ものと場所の繋がり>
江戸時代、簾は江戸の繁栄につれ、高貴な身分のものから庶民にも広がり使われるようになりました。簾専門の職人がいたことも文献に残っています。江戸時代、隅田川が物流の中心だったため、台東区に職人が多く集まりました。
簾の歴史は古く万葉集にも登場します。江戸時代には、江戸城、武家屋敷、神社仏閣、商家などで使われ、やがて庶民にも広がり、浮世絵にも描かれました。江戸時代には既に簾専門の職人がいたことが、「人倫訓蒙図彙」(じんりんきんもうずい)という文献に記されています。江戸簾の特色は、竹など天然素材の味わいをそのまま生かしているところにあります。
展示品の簾は、台東区に明治初年から続く江戸簾の老舗「田中製簾所」の五代目職人であり、東京都指定伝統的工芸士として活躍する田中耕太朗さんにより制作されたものです。伝統に培われた高い技術と、風流で粋なデザインの簾は、現代の生活にもよく馴染んで好評を得ています。
高岡銅器×富山県
起源:慶長14年(1609年)
場所:富山県高岡市
<ものと場所の繋がり>
慶長14年(1609年)、加賀藩前田利長が7人の鋳物師をこの地に呼び、鋳物場を開設したことから、鋳物の地となりました。日本三大仏に数えられる「高岡大仏」は、伝統の銅器製造技術の粋を集めて作られたものです。
高岡の鋳物の歴史は、慶長14年(1609年)、前田利長が高岡市金屋町に7人の鋳物師(いもじ)を招いたことから始まりました。江戸時代の中頃から銅合金の鋳物(いもの)も盛んになり、梵鐘(ぼんしょう)や仏具などの銅器製造が有名になりました。最近では、鋳物の歴史の中で培った高度な技術を基盤に、現代的な加工技術を応用した、デザイン性の高い新しい商品が注目を集めています。
展示品の風鈴は、大正5年創業の鋳物メーカー「能作」が制作したもので、高岡の優れた鋳物技術がつまった風鈴です。材質は真鍮(銅60%、亜鉛40%)で出来ており、他の金属に比べひそやかな音と余韻の長さが特徴で、澄んだ音色は、癒しと涼を与えてくれます。
信楽焼×滋賀県
起源:鎌倉時代中期
場所:滋賀県信楽町
<ものと場所の繋がり>
滋賀県信楽町は近畿地方の中心にあり、古琵琶湖層といわれる耐火度の高い良質の粘土が豊富に産出された場所です。室町、桃山時代は茶道具、江戸時代には茶壷、その後は火鉢生産と、陶器の町として伝統ある長い歴史を持ちます。
信楽(しがらき)焼の歴史は古く、鎌倉時代以前より続いている、瀬戸・常滑・越前・信楽・丹波・備前の中で、最古のものの一つです。信楽は狸の焼物と火鉢で有名ですが、登り窯が減ってしまった昨今、モダンな伝統工芸品を広めようと「Mother Lake Products Project(マザーレイクプロダクツプロジェクト)」が始まり、「KIKOF(キコフ)」というブランドが生まれました。このブランドを作ったのが、クリエイティブユニット「キギ」と「丸滋製陶(まるしせいとう)」です。
展示品は、信楽焼の水差しです。近年猛暑が続く夏、効果的な水分補給が必要です。水差しにたっぷり水を注ぎ、カットした彩り豊かなフルーツを入れるだけで、簡単にフレーバーウォーターを作ることができます。こんな風に楽しみながら水分補給をするのも良いかもしれません。
萩ガラス×山口県
起源:安政6年(1859年)
場所:山口県萩市
<ものと場所の繋がり>
萩ガラスは、長州藩中島治平により始められ、隆盛の時代を築きながら激動の幕末に幻のガラスとなりました。平成4年、萩ガラス工房は笠山の石英玄武岩を使用し、当時のガラスを復刻させたのです。
安政6年(1859年)、長州藩の中島治平は、萩の地で硝子製造を開始しました。江戸の切子職人を招いての優れた技術と、石英玄武岩※を原料として作られたのが、萩ガラスです。萩ガラスが作られるまでには、様々な工程があり、原石の粉砕、調合、溶融、脱泡、精製という順番です。このガラス素地を使い、様々なグラスや器を作ってきました。しかし、ガラス製造施設の焼失、中島治平の病死等、激動の時代の中で萩ガラスの伝統は埋没していきました。長き時を経て、この幻の萩ガラスを平成の世に復活させた「萩ガラス工房」は、原石の採石から製品作りまで一貫した生産を行うガラス工房です。萩ガラスは、高い透明度と美しい天然の緑色、また高温処理している為、一般のガラスより傷つきにくい耐久性を有しています。
展示品は長州藩士・高杉晋作が愛用したといわれているワイングラスの復刻版です。