今年度は、暮らしの中の知恵に焦点をあてて、四季折々の知恵をご紹介します。
今回は、「春を楽しむ知恵」にちなんだものをご覧いただきます。春は暖かくなり花が咲き、人々は外に出て自然と一体となることができる季節です。そんな春を存分に楽しむために生まれた様々な知恵をご紹介します。
端午の節句は元々、端午の「月の端(はじめ)の午(うま)の日」という意味から、五月に限ったものではありませんでしたが午が「ご」という音だったために五月五日になったといわれています。この時期は菖蒲の盛りの季節であることから、「菖蒲の節句」ともいわれます。菖蒲は古来より邪気を祓い健康を保つ力があると信じられており、風呂に入れたり酒に浸して飲んだりする習慣があります。武家社会の鎌倉時代に入ると武を尊ぶという意味の尚武と菖蒲をかけて端午の節句を尚武の節日として祝うようになり、やがて子供の成長を願い兜や鎧を飾るようになりました。現代では子供の日として祝う端午の節句は本来、季節の変わり目に、また田植えという大切な行事に備え、体をいたわり健康を保つための知恵が盛り込まれた行事であったのです。
和装の世界では季節感がとても大切にされています。衣替えし、その季節にふさわしい衣類を纏う一方で、季節を先取りすることが粋であるという考え方も伝統的に持ち合わせています。特に桜柄は、開花前のわずかな期間しか着ないというきまりがあるため贅沢な柄といわれます。布でものを包むという習慣は奈良時代からありましたが、江戸時代に発展した銭湯へいく際の湯道具を包むために使う布を風呂敷と呼ぶようになりました。そして他人のものと区別をつけるため風呂敷の柄やデザインは多種多様を極めるようになりました。風呂敷は包むものの形状を問わず、包み方、用途も様々で、まさに知恵に溢れたアイテムです。桜柄の風呂敷は生活の中の実用的な知恵と、短い季節を楽しむ粋な知恵を今に伝えています。
野点とは戦国時代の大名が野外で狩などをして遊ぶことで古くは野掛といわれていました。野外で茶会を催すことも含まれていたため、外で自然の風物と接しながらお茶を点てることを野点というようになりました。特に暖かく花が咲く春は野点に適した季節です。茶の湯というと作法が難しいというイメージがありますが野点は客をもてなすことが第一であり、とりたてて作法があるわけではありません。季節を楽しむための場所を選んだり、客のために心を配ることに知恵を絞り、そこに楽しみや面白みがあります。野点のためのお茶道具は野点籠といい、お茶を点てる茶碗と茶筅、お茶を入れる器の棗、棗から茶をすくう茶杓を携帯用に籠にいれたものです。持ち運びのために小ぶりに作られ、茶杓は折りたためるなどの工夫がされています。
花見は元々祓いのための宗教的行事であり、野山へ出かけ花を愛でることで厄を祓い神と過ごすためのものでした。平安時代には貴族の間で盛んに行われるようになり、やがて庶民にまで広がったのは江戸時代も半ばにはいってからで、その当時に桜の名所が各地に誕生したといわれます。当時は庶民の楽しみがあまりなかった時代で、特に野外へ遊びに出かけるということがめったになかったため、その人々にとって花見は大事な行事でした。その花見を最大限楽しむために、知恵をこらした小道具が生まれました。重箱と酒の入れ物がひとつに収まるようになっている提重は花見のための弁当箱で、持ち運びに便利なつくりになっています。
日本では古くから餅や団子は作られていましたが、茶が伝わり喫茶の習慣が発達した鎌倉時代以降、菓子の技術は大きく発展し江戸時代に和菓子は確立されたといわれます。木型を使って作る和菓子で代表的な落雁は、米などの穀類を炒って粉にし、砂糖や水飴を混ぜて木型に入れ、押し固めて作る菓子の総称で、道明寺粉や寒ざらし粉(白玉粉)などの新しい米粉が江戸時代に創製されたことによって作ることが可能になったものでした。小さな形の中に自然の風物を写しとって表現した和菓子は、季節の移ろいを身近に感じ味わうことができます。また、雛節句や端午の節句など慶事や祝事の日に和菓子を食べるなど年中行事にも深く関わりがあります。これらは生活に潤いを与える日本人の知恵といえましょう。